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MACRO-ELMARIT-R 1:2.8/60

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 α7RとMACRO-ELMARIT-R 1:2.8/60。カナダ製。
モデルはAGFA KARATの筐体。
(拡大画像あり)





 マイケル・ペピアットの「フランシス・ベイコン」を県立図書館から借り受けて読み始む。夏目幸子訳。新潮社。せんに『美術手帖』3月号「ベーコンの壮絶で華麗なる人生」(伊東豊子)の、参考文献リストにあったからだ。

(EOS5Dmk2 /MACRO-ELMARIT-R 1:2.8/60/SILKYPIX)

時間 出来事

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 今日8月7日は立秋。
 1週間ほど前のことか土手を歩くとアカネが乱舞していた。前日まではいなかった。そのさらに1週間ほど前にはカナカナが桜の木を渡っていた。クマゼミのなかにいた。今朝もまだクマゼミは鳴いている。だが季節は推移している。
 推移する、っていえば、時間とか出来事とかをかんがえる。今この時点を基準にして、アカネとかさらに以前のカナカナとか言う。九月になったら旅行でもするか・・とか言うこともできる。ところでジョン・マクタガート(John McTaggart )的にはこれらのことは時間のA,Bどちらの系列なのか、僕にはよくわからない。文脈上(おなじ構造での表現上)アカネとカナカナは推移律が成立してる。(とおもう)一方、旅でもしようか・・というのは別のセリーのように思える。僕が主体となって思うことだ。これは現在・過去・未来のA系列のようだ。
 「時間」はよくわからない。マクタガートは、時間はない、という。そんな気もする。散歩するたびにそんなことを思う。つまり「出来事」をおもう。散歩=パセアルセの中途、そのなかで「出来事」を思う。思っている時空もすでに出来事だ。推移している。自動的だ。非対称だ。



(土門拳:高島屋/EOS5D/MACRO-ELMARIT-R 1:2.8/60/Photoshop CS5.5/拡大画像あり)



(拡大画像なし)

いい天気。庭に出て春の花を。
最初のコマは芽を出した山椒。
ああ、ぬたで尾羽鯨を食したい。

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地上の夜の天使たち